2024年11月4日月曜日

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

 各美術館のコレクション展だが、有名な作家の作品が出てきたり、未知の作家でとても感銘を受けたのが有ったりで、宝探し的、自分の審美眼を試すような展覧会かなと思う。

特に気になったのが、辻永の「椿と仔山羊」で絵のセンチメンタル、ロマンチックな色調の印象から女流画家とばかり思い込んでいたが、家に帰って調べたら戦後日展を牛耳った天皇みたいな存在だったと知ってビックリした。1917年の作品で100年以上前だが、旧さを全然感じさせないし、発色もキレイでアカデミックでありながら、今も通じるセンスを感じる。

他の作品も色々調べてみたが、若い時から帝展などに買い上げされていたので、有り余る才能が有ったのだろう。戦後は小粒なって面白くないが・・・

戦後に東郷青児や藤田嗣治など大家が、画壇の縄張り争い!?が有って興味がないので調べていないが、今はそんな世俗的な絡みも忘れられて、作品のみが評価されているように感じる。

個人的には、ロシア構成主義、ロシアアバンギャルドが好きで、久しぶりに素敵な版画に出会えた。エル・リシツキーの一連の「太陽の征服」で、1992年に美術館が購入になっている。下世話な感じだが幾ら位で購入したのか気になる。

この頃のロシアは、エイゼンシュタイン、マレーヴィチやプロコフィエフ、ショスタコービチなど、一気に優れた芸術家が生まれ、30年代にスターリンが台頭してからおかしくなったが、この頃の作品はディアギレフのロシアバレー団や、バウハウス、イタリア未来派など、いろんなモノと絡み合って面白い時代だったと思う(日本で大正時代後半のモボ・モガにも通じてくる)

科書に良くて出てくる古賀春江の「海」1929年を観れたのも良かった、破滅型の画家でこの作品の4年後に亡くなったが、この頃は模範的なシュールレアリスムで端正な筆運びであった。あまり大きくないがカッチリした作品だった。

この人も調べていったら色々あって川端康成などとも親交があったり、生きて来た時代の美術の潮流を上手く取り入れたりしているが、回顧展などで観てみないと何とも評価しずらいだろうなと思う。


古賀春江 《海》

小倉遊亀の戦前の端正で清潔感あふれる作品を観てホッとする。日本画の王道を行くような感じ。女性の裸体を描いているのに、女流画家だからか、エロチシズムが良い意味で感じられず、構図に溶け込んでいる。 

特に、今回はあまり旧い作品はないが、ここ100年ほどの国内外の作品が集められているので、今回の古賀の作品は一種の清涼剤になる。出来れば「浴女その二」も並べて展示して欲しかったが、途中で作品を入れ替えるみたいだ。

小倉遊亀 《浴女 その一》

最初の方に展示されていたバスキアだが、自分が大学生の頃に流行っていて
 まさに自分と同時代を生きていた画家だけに強いシンパシーがある。
 私より、6ヶ月ほど早く生まれて、28歳で薬物中毒で亡くなっている。
 キースへリングはエイズで31歳で亡くなったりで、いわゆるストリートアートや、ニューペインティング的なものを同時代に体験したのも今では青春時代の懐かしい思い出になった。
親交のあったウォーホールもバスキアより少し前に亡くなっているので、一時代が終わった感があるが、今となっては懐かしくややレトロ(年代を感じる)な様式で妙な安堵感で眺められたが、ここ感覚はどこから来るのだろうか?


ジャン=ミシェル・バスキア 無題





2024年11月2日土曜日

塩田千春展 中之島美術館

浅学にて、塩田千春を知らなかったが、知人が観に行きたいというので、一緒に行った。 最初は、立体の造形作家かと思ったが、実際にはパフォーマーに近いかなと思う。 最初に感じたのは、先天的な造形力のセンスの良さだった。  会場最初にあった大きな展示室を飾る蜘蛛の巣のような広がりの造形物は、素人目にどのような結び方、どのような固定の仕方、満遍なくテンションがとれた張り具合など確認している内に、建築家的な資質の人かなと思ったが、 職人さんや助手の手助けがあると思うが、とても洗練された造形物のように思う。舞台美術などを作る時に、合理的な工程を見つけたのだと思う。
初期のややアカデミック的なところから順番に観ていったが、エナメル(油絵具?)を全身に塗ってのパフォーマーは恐ろし過ぎるが、それだけ迫力はある。
20歳代の骨のオブジェは、ドイツでの生活から発想を得たものかと思うが、気持ち悪さみたいなものはあるが、豊かな才能の萌芽みたいなものを感じられる。
展示室に作者の生い立ちや作品紹介のインタビュー(ドキュメンタリー)みたいなビデオが15分ほどあってじっくり観ていたが、天才肌だと感じた。
現代美術でも、構図や技巧、知能、知識など頭で逡巡しながら描かれた作品があるが、どうしてもそれが吉にも凶にも出て、観ていてしんどい時・感心はするが感動しない時がある。塩田千春の作品にはそれが無い、気の向くままに創作しているが、伸び伸びしていてコスモポリタン(日本の風土を感じさせない)なイメージが強いので、海外にも受け入れやすいのではないかと思う。
最近の作者が癌にかかってからの、人体や内臓(がん細胞?)のオブジェなどを多数作っているが、「癌にうなされた夜の夢」のイメージの造形物は死神と思わせるほど不気味なものだが、そういったものがサラッと創れるのが単純にすごいなと思う。

掘り出しモノ満点の充実した個展であった。

2024年7月7日日曜日

村上隆 もののけ 京都

村上隆の作品は二十年近く前から気になっていたけど、生理的にどうも受け付けなくて、特に展覧会にも行こうとしなかった。

工房、デザイン事務所、印刷事務所、CGなどで大量生産的な印象があるので、ネットで調べてみたら有限会社カイカイキキで作品を作っているようであった。
モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動やウィーン工房に似た業態だと思う。
アニメキャラっぽいのが、今の時代の風潮を切り取ったもので、今まで関心はするけど感激はしない印象があった。2000年の初頭から海外でも知名度を上げ高く評価されていたが、天才的なプロデュースのセンスや経営力があると強く感じる。
今まで、わざわざ美術館迄はと思っていたが、京都でやることになっていたので、いつまでも食わず嫌いも行けないなと思い、クルマを駆けて観に行くことにした。



入口の壁画と仏像のようなオブジェ、ド迫力、外国の観光客が自撮りや記念撮影をしていた。涅槃の入り口のような印象(実際はもっと質素なものだが)
金剛力士像をモチーフにした像がある

かなり大きな立像、新興宗教の偶像みたい。10年たったら信仰の対象になりそうな迫力と完成度。100年たったら令和期の文化遺産になる可能性もある。


今回の展覧会は、ベースがキャラクターのイラストやオブジェではあるが、遊園地感覚で観に行くのとも違うし、ポケモンセンターにも行くのとは違う。芸術家の魂の吐露を確認するような場である。村上隆も還暦を超えて円熟味が増し、ますます創作意欲が増えたように思う。そして、「もののけ京都 」というテーマであるが、死が身近になって来ているように思う。


10年たったら、仏教寺院、新興宗教的な方向「大徳寺真珠庵」に飾られるような気がする。もののけ、暗い、死をイメージにしたもの、京都の歴史的なカルチャーと結びつく。













まだまだ仏教的な要素の絵は有った。
CGで作成してプリントしているので肉筆感はない。どんな風に金箔とか処理されているのか気になって目を凝らしてみたが、シルクスクリーンか顔料の印刷??


こちらからは、キャラクター風な作品




唯一エロチシズムを含んだ作品(多分)

個々の評価は避けるが、もちろんレベルは高いがCGで作っているので、手造り感は無い(ここでそれを求めるのは野暮であるが)工芸品的な扱い、希少価値云々より面白いモチーフがあれば、コレクターとして持っていたいという気はさせる。






村上隆ワールド全開のスリリングな展覧会であった
鑑賞後に妙な高揚感が有って、来てよかったと思う。