各美術館のコレクション展だが、有名な作家の作品が出てきたり、未知の作家でとても感銘を受けたのが有ったりで、宝探し的、自分の審美眼を試すような展覧会かなと思う。
特に気になったのが、辻永の「椿と仔山羊」で絵のセンチメンタル、ロマンチックな色調の印象から女流画家とばかり思い込んでいたが、家に帰って調べたら戦後日展を牛耳った天皇みたいな存在だったと知ってビックリした。1917年の作品で100年以上前だが、旧さを全然感じさせないし、発色もキレイでアカデミックでありながら、今も通じるセンスを感じる。
他の作品も色々調べてみたが、若い時から帝展などに買い上げされていたので、有り余る才能が有ったのだろう。戦後は小粒なって面白くないが・・・
戦後に東郷青児や藤田嗣治など大家が、画壇の縄張り争い!?が有って興味がないので調べていないが、今はそんな世俗的な絡みも忘れられて、作品のみが評価されているように感じる。
個人的には、ロシア構成主義、ロシアアバンギャルドが好きで、久しぶりに素敵な版画に出会えた。エル・リシツキーの一連の「太陽の征服」で、1992年に美術館が購入になっている。下世話な感じだが幾ら位で購入したのか気になる。
この頃のロシアは、エイゼンシュタイン、マレーヴィチやプロコフィエフ、ショスタコービチなど、一気に優れた芸術家が生まれ、30年代にスターリンが台頭してからおかしくなったが、この頃の作品はディアギレフのロシアバレー団や、バウハウス、イタリア未来派など、いろんなモノと絡み合って面白い時代だったと思う(日本で大正時代後半のモボ・モガにも通じてくる)
科書に良くて出てくる古賀春江の「海」1929年を観れたのも良かった、破滅型の画家でこの作品の4年後に亡くなったが、この頃は模範的なシュールレアリスムで端正な筆運びであった。あまり大きくないがカッチリした作品だった。
この人も調べていったら色々あって川端康成などとも親交があったり、生きて来た時代の美術の潮流を上手く取り入れたりしているが、回顧展などで観てみないと何とも評価しずらいだろうなと思う。
小倉遊亀の戦前の端正で清潔感あふれる作品を観てホッとする。日本画の王道を行くような感じ。女性の裸体を描いているのに、女流画家だからか、エロチシズムが良い意味で感じられず、構図に溶け込んでいる。
特に、今回はあまり旧い作品はないが、ここ100年ほどの国内外の作品が集められているので、今回の古賀の作品は一種の清涼剤になる。出来れば「浴女その二」も並べて展示して欲しかったが、途中で作品を入れ替えるみたいだ。
まさに自分と同時代を生きていた画家だけに強いシンパシーがある。
親交のあったウォーホールもバスキアより少し前に亡くなっているので、一時代が終わった感があるが、今となっては懐かしくややレトロ(年代を感じる)な様式で妙な安堵感で眺められたが、ここ感覚はどこから来るのだろうか?